※2005年の写真。ヒットがなく(そうは見えないかもですが・笑)悶々としていた日々
いつもありがとうございます。
越智です。第1回(PHPとの出会い編)、第2回(法人営業時代編)の続きで、今回は営業から出版部に異動した頃の話を書きます。
【打算的だった自分を告白します】
少しづつ仕事のコツを掴み、「営業でなんとか身を立てていける!」そう思い始めた矢先のこと。
入社時に希望していた出版部への異動話が持ち上がりました。
2002年3月のことです。
当時の法人営業部門の責任者であった常務取締役から「出版部に行ってみる気はないか」と打診されました。
ところが、その異動話が持ち込まれた際、私は喜びよりも戸惑いの方が大きかった……。
なぜなら、営業活動がようやく波に乗り始めた時期だった上に、年齢も30歳を超えていたからです。
つまり、新しいキャリアを積むには遅く、今からでは同期に出世で後れを取るのではないかとの打算が働いたのです。
「異動してみたいけど、1からキャリアを積み上げて実績がでるかどうか……」
あるいは、
「もしかして今の部署で、ボクは不要な人間と思われたんだろうか……」
そんな思いが首をもたげました。
悩みに悩んだ私は、今の複雑な心境を妻に吐露しました。すると、次のような言葉が返ってきたのです。
「もともと編集者になりたくてPHPに入ったんでしょう? なら、やってみればいいじゃない。やってダメだったらまた考えればいいのよ」
(そうか。そういう考え方もあるな……)
妻の言葉に背中を押された私は、出版部への異動を決めました。
異動先は、学生時代の私をPHPに導いてくれた『三国志の人物学』『愛されなかったときどう生きるか』の担当部署である文庫出版部でした。
不思議な縁を感じました。
入社してちょうど10年が経とうとしていました。
[30歳を超えて、編集の世界へ…]
文庫出版部では、営業部とはまったく違う世界が待っていました。
ひと言でいえば、編集は自分で考え、自分で決めることを強く求められる仕事だということです。
もちろん営業の仕事が、自分で考え、自分で決める仕事ではない、という意味ではありません。
最終的に決定権があり責任を持つのはどこか、という話です。
営業は「最終的に買う、買わないはお客様が決める」のに対し、編集の仕事は「企画も著者もタイトルも自分で(自社で)決める」のです。
ここに決定的な違いがあります。
しかし、長年の営業活動で、お客様の意に沿うことを最優先に考えてきた私にとって、「最終決断を自分(自社)で行う」ということに大変な違和感がありました。
そんなとき、ある事件が起きます。
ある企画について、社内で考えたタイトルを著者さんに提案したところ、著者さんがどうしても首を縦に振ってくれないのです。
著者さんからNOが出るたびに上司と相談して新たな案を持っていくのですが、まったく方向性の違ったタイトルを提案され一向に折り合いがつきません。
それまでの私の発想だと、最終的に著者さんの意向を汲んでなんとか丸く収める場面でした。
しかし、上司はまったく違う姿勢で臨んできたのです。
タイトルを決めあぐねている私をみて、こう言いました。
「越智君は、どっちの味方なのか」
(ええ? なんでそうなるの?)と思いました。
そうこうしているいるうちに、著者さんからこう言われました。
「越智さんは、どの案がいいと思っているの!(怒)」
私の内心はこうでした。
(相手は著者さんなのだから敵も味方もないし、タイトルは新米の僕の意見なんて通らないんだから…)
しかし、今はわかります。
編集者として、タイトルという最重要事項について、著者さんの意見を聞くのは大切なことです。
しかし、本が売れる売れないを最終的に判断し、投資そのものを行なうのは出版社です。
投資である以上成功すれば儲けが出ますが、同時にリスクも負います。
ということは、本の売れ行きに大きく関わってくるタイトルを、全面的に著者さんに委ねるのではなく、まず担当編集である自分が腹オチするまで考え抜くこと。
そして、それを著者さんと会社に説明をし、私が能動的に進めること。そこがわかっていませんでした。
異動してしばらくは、著者さんやデザイナーさんと会社の意見が対立したとき
「自分がどうしたいか」より「どうすれば丸く収まるか」ばかりを考えていました。
自分の意見や考えをもたず、事態を収拾させることに終始していたのです。
著者さんの考えを汲まなきゃという思いと、売れる本を作らないといけないという現実。
このギャップを編集者が埋めるのだ、ということを腹オチするまでかなりの時間を要しました。
そんな姿勢ですから、良い企画もまったく出てきません。予定調和である私の企画は、なかなか通りませんでした。
通常、企画会議に提出して約1ヶ月で最終決裁が下りるところ、初めての書き下ろし企画を通すのに、半年以上かかりました。
また、企画が通るようになってからも、作った本はさっぱり売れませんでした。
そんな時期が約3年続きました。
あまりに売れない時期が続きましたので、あるとき(僕は編集の仕事が向いていないのかもしれない。営業に帰ろう……営業に帰りたい……)そう思い始めました。
いつもの悪い癖が出たのです。
マイナスの思考は、マイナスのことを引き寄せます。
ある著者さんとの打ち合わせをしたときのことでした。同席していた直属の上司から言われたひと言に我慢できなくなった私は、
局長に営業部門に帰ることを申し出て了承されたのです。
[初めてのヒットが大ヒットに!]
しかし、人生面白いものです。
「営業に帰る前に、自分の作りたい企画で、自分の好きな絵師さんにカバーイラストを頼んで、見出しも自分なりに考えたものをつけてみよう」
そう覚悟して作った文庫が大ヒットになったのです。『「世界の神々」がよくわかる本』という文庫でした。
ゲーム好きが高じて出来たこの本は、カバーや中のイラストの良さも相まって発売後すぐに増刷を重ねました。
(2005年発売の同書は、累計で35万部を超え、13年経った今も販売されております)
また、私の短気がもとで決まっていた営業部門に戻る話も、同書が出る直前に大人の事情があってリセットされていました。
『「世界の神々」がよくわかる本』の売れ行きに自信を得た私は、続編を出すかたわら、ビジネス中心の企画から雑学・エンタメものに徐々にシフトチェンジしていきました。
それまでPHPが手をつけていなかった、ガンダム、ウルトラマン、北斗の拳、ディズニーなど、エンタメコンテンツとタイアップした企画をどんどん出していったのです。
これが結果として、新たな販売ルートとして注目されていたコンビニ向け商品の拡充にもつながり、私はコンビニ向け商品をつくる部署の責任者となりました。
しかし、このコンビニ向け部署でも、大きな試練が待ち受けていました。
この続きはまた更新したら、お知らせしますね(^ ^)
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。心から感謝です!
ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。
この記事へのコメントはありません。