【編集あるある小話】「えー、それやっちゃだめなの!?」
リアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』。
「1979年のアニメ放映当時、小学生5年生だったおち少年は、このアニメのリアルな世界観に首ったけとなり、約30年の刻を経て、同アニメの関連本を多数世に送り出すことに成功、ヒットさせていく……」(永井一郎ナレーション風で)
600冊以上手掛けてきた中で、最初に取り上げるのがなぜガンダム本なのか?
単純に好きだからです(笑)。
ということで、「不定期連載 おちひでき編集ヒストリー第1弾」は「ガンダム本」です。
ガンダム本は、出版社時代に実に10冊以上手掛け、10万部超えも4本出たのですが、一番思い出深いのは、最初に作った『永遠のガンダム語録』です。
当時、会社として「版権もの書籍」の実績は、ほぼゼロでした。
ですので、全く前例がありません。
どこに電話したらいいのやら、ロイヤルティはいくらかかるのかやら、契約条件に在庫管理のことが細かくかかれているが「うちの会社で対応できるのか?」やら、課題一つ一つと向き合う日々が続きました。
中でも一番大きかった課題が、カバーデザインでした。
デザイナーさんと相談し、アムロとシャアというアニメの登場キャラクターの画像を組み合わせると面白いとなりました。そして、これはいい出来だ!というデザインを権利元さんに提示したところ、強烈なダメ出しを食らったのです。
「アニメ画像を、勝手に加工したらダメです!!!」
(ええ~なんで~!? 組み合わせただけじゃん! そんなにいじってないじゃん!)と密かに思い交渉を続けるものの、「絶対ダメ!!!」の一点張りで埒があきません。
しかし、自分としてはこのデザインがとても気に入っている。
諦めきれない……。
そこで、粘り強くしつこくしつこく(笑)交渉を重ね、「モザイクでぼかすのなら、認めましょう」というところまで引き出し、なんとか発刊にこぎつけたのです。

運のよいことに、モザイクがドットのようになり、むしろ洗練された感じがして結果オーライの素晴らしいカバーとなりました。
そうして迎えた2007年1月5日の発売。
「なんとしても増刷をかけたい」という野望を胸に燃やしていた私は、毎日POSデータを確認しては、営業部門に行き店頭での売れ行きを聞きました。
が、営業はあっさりしたもので、「おちさん、初版3万部も刷っています。そんなに毎日来られても、状況は大きく変わりませんよ」とうるさがられる始末(笑)。
そうした滑稽なやりとりがありつつ、『永遠のガンダム語録』約1ヶ月も経たないうちに重版が決まり、その後も着実に版を重ね、結果15万部を超えるヒットとなりました。
さらに、このガンダム本のヒットは、予想外の効果をもたらしました。
ディズニーなど他の版権ものを会社として手掛ける足掛かりになっていったのです。そういう点からも、私にとっては思い入れの深い一冊となりました。
色々な経験をさせてもらったガンダム本ですが、手掛けさせてくれてバックアップしてくれたPHP研究所さん、いつも無理を言う私に丁寧に対応くださった権利元のサンライズさん、めんどくさい私の注文にこたえ続けてくれた編集プロダクションのレッカ社さん、なにより買ってくれた読者の皆さんの応援をいただき、ヒットが続きました。
今振り返っても感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございます!!!
【OCHI企画3周年記念アニバーサリー無料企画について】
来月10月1日の独立3周年に向けて、OCHI企画の活動方針を全面刷新いたします。
この3年間は、ともすれば「この企画、いける!」とか「この人、ノウハウがある!」ということが第一義となり、考え方やバックボーン、趣味にどれだけ自分との共通点があるか、をなおざりにしてきました。
あるいは、「仕事をしなくては」という強い思いに突き動かされ、ここまでやってきました。
おかげさまで、いいこともたくさんあったのですが、反面、後味の悪い結果につながったことも多々ありました。私の不徳の致すところであります。
ただ、「世の中に貢献したい、良いインパクトを与えたい」という志の部分は変わりません。
そして、これからは基本的な考え方、趣味やバックボーンなど、共感できることの多い人とのつながりを大切に、仕事をしていきたいと考えております。
<OCHI企画の経営理念>
『企画力・編集力を通じて、世の中を良くしたいという気持ちを持つ「グッド・インフルエンサー」を、全面的にバックアップ。この世の発展に貢献する』
「おちひできだから、OCHI企画だから、仕事をしたい」という人たちと、一緒に楽しみながら仕事をしていきたい。
そこで、私のことをより知っていただくために、あらためて自己紹介をさせていただきます。
【おちひできの自己紹介】
●家族構成…1970年愛媛県今治市出身、4人兄妹の長男。家族は妻、息子一人、娘一人、トイプードル2匹
●得意・実績のある編集ジャンル…自己啓発、ライトビジネス書、ファンタジー、戦国武将、三国志、幕末、ミリタリー、ライトスピリチュアル、ガンダム、神話、子育て
●好きなエンタメ・趣味……三国志、世界の神話、田中芳樹の初期スペースオペラ(特に『銀河英雄伝』)とファンタジー小説、司馬遼太郎、ガンダム(特にシャア・アズナブル)、レトロゲーム(特に「パックマン」「ギャラクシアン」「ゼビウス」「ドルアーガの塔」などの初期ナムコ作品から「グラディウス」、そして「アフターバーナーⅡ」『アウトラン』などセガの大型筐体まで)、戦国武将、幕末、80年代ロック・ポップ(MTVといったらa-haの「Take On Me」)、B’z、ラーメン(特に足立区にある田中商店の豚骨ラーメン)、お好み焼き(広島の『八昌』は絶品)犬の散歩、自己成長
●好きな考え方・大切なもの…人生はエンターテインメント。いいことも悪いことも味わい、楽しむ。松下幸之助さんの「生成発展」「素直な心」「熱意」「大忍」「青春は心の若さである」。永松茂久さんの「言葉は現実化する」。斎藤一人さんの「ツイてるなあ」「幸せだなあ」「楽しいなあ」「感謝だなあ」。中村天風さんの「積極の心」。本田宗一郎さんの「やってもみもせんで何がわかる」「思想は技術に優先する」。家族、時間、お金
<お知らせ>
この3年間、「出版したい」という希望を持つ多くの方々のご相談にのってきました。
本を出版するということは、「自分の強み」を著すということです。
おちひできのコンサルは、単なる出版のコンサルにとどまらない「その人の強み」を見つけるをサポートする、ということで好評をいただいております。
自分自身でも、「その人が気づいていない強み」を見つけるのが好きであり、得意であるということに驚いています。
そこで、そのノウハウを生かした『3周年記念アニバーサリー無料企画』
を明日、9月2日に発表させていただきます!!!
出版に関心のある方、自分の強みが知りたい方は、ぜひ楽しみにしていてくださいね![]()
皆さん、今日もお疲れ様でした&ありがとうございました!
運勢も見た目が9割!?

鑑定歴15年・12000人以上を占ってきた人気占い師・油井秀允さんによると「人の運勢は見た目で作られる」そうです。
先日、占い予約3ヶ月待ちの油井さんから、こんな話を聞きました。
10年前、30代の女性が「いろいろやっているのに金運が上がらない」という相談にきたときのこと。
彼女は、
「風水にしたがって毎日、トイレと玄関をピカピカに磨き上げている。こんなにやっているのに、なぜ金運が上がらないのですか!」
と、油井さんに詰め寄りました。
そこで、油井さんはこう答えます。
「まずは明るめの色の服を着てください」
油井さんの見たところ、彼女の見た目は、全身黒と灰色のダークな色で埋め尽くされ、髪はボサボサ、化粧っ気も全くありません。
すると、彼女は油井さんにこう言い返します。
「服の色って、金運に何の関係ないと思います。さらに冬に明るい色の服は売っていないですよね(当時、季節は冬・笑)」
「冬にも明るい色の服は売っていますよ。なによりあなたの家の中は、あなたのこまめな掃除のおかげですでに準備ができています。あとはあなたが見た目を変えるだけ。これで金運は上がりますよ」
その後、彼女は「家族にも笑われるし、本当に効果あるの?」とぼやきながら、買ったばかりのオレンジの服を油井さんに見せました。
それから、しばらくしてのことです。
「油井さん、宝くじ(高額)が当たったわ!」
と、彼女から連絡がありました。
さらに、その後もロト6が当たったりするなど、彼女の金運は上がっていきました。
気を良くした彼女は、旦那さんの見た目改造にも着手。旦那さんもどんどん出世していき、今では勤めていた会社の社長になったそうです。
油井さんは、言います。
「越智さん、私のところには金運を上げたい、夫婦関係をよくしたい、恋愛運を上げたい、職場の人間関係を良くしたい……色んな人が相談にきます」
「が、彼らに共通していえることは、見た目が悪いんですよ。まずは見た目を変えるだけで運勢は上がるんです」
なるほど~。そう言われれば、本も確かにそうです。
全く同じ内容・編集なのに、タイトルとカバーデザインを一新しただけで大きく売上が伸びた商品がありました。
『人は見た目が9割』という竹内一郎さんのベストセラーがありますが、さしずめ『運勢も見た目が9割』といったところでしょうか。
ちなみに件の女性は、今でも油井さんのところに相談に訪れている、とのことです。
この記事を読んで、みなさんの金運が上がりますように^^
皆さん、今日も1日お疲れ様でした&ありがとうございました!
「エンタメな嘘」のススメ
今回は、福山雅治さんのお話です。
ある時期からデビュー当時の曲の思い出話など、昔の話をよく聞かれるようになった福山さん。
キャリアを重ねれば重ねるほど、そうした機会が増えていくわけですが、当然ご本人はあまり覚えてない。
そうすると「どこか違っちゃっているんじゃないか」「話を盛っちゃってるんじゃないか」……つまり「ウソをついているんじゃないか」ということに囚われはじめたそうです。
そこで、それをタモリさんにご相談された。
すると、タモリさんから、
「つまらない真実より、面白い嘘のほうがいい」
という言葉が返ってきたそうです。
以来福山さんは、エンターテイナーとして数%の本当があれば、それは人を楽しませるための「エンタメな嘘」と割り切れるようになったとのこと。
さて、最近は「正義中毒」という言葉に代表されるように「自分の正しい」を人に押し付けて、攻撃的な言葉で人を叩く人が少なくありません。
もちろん本当のことを言ったり、正しいことをすることは、とても大切なのですが、それに囚われすぎて他人を執拗に攻撃したり、自分で自分の枠を狭めちゃうのもどうかなと思うのです。
時には「正しい」よりも「楽しい」を優先する。
そのために「エンタメな嘘」をつくことがあってもいい。
そんなゆとりをお互い持ちたいものですね。
ちなみに、私は社会人になりたてのころ、仕事はダメダメでしたが、人にはモテました^^
さて、どこまでが本当で、どこが嘘なのか……
それは読者の皆様のご想像にお任せします^^
それでは、みなさん、今日も1日お疲れ様でした&ありがとうございました!
仕事は、「どれだけ時間をかけたか」よりも「どれだけ集中できたか」
今日は、出版コンサルを連続で4本させていただきました。
事前に資料を読み込むものの、30分で方向性を見出す。
30分ということで、相手に真剣に向き合う緊迫感がありましたが、ものすごい集中力で臨みました。その結果、あまりにもスラスラとアイデアが出てきて、自分でも驚いてしまいましたΣ(・□・;)
あらためて、(時間をかければ、いいものができるわけではないんだな)と思いました。
とことんスピードにこだわったアップルの創業者・スティーブ・ジョブズは、大企業なら「3ヶ月かかる」といわれた仕事を「僕はね、一晩で成果を上げてほしんだよ」と言い放ち、やらせたといいます。
本の編集もそうです。
たっぷり時間をかけたからと言って、売れる本になるとは限りません。
むしろ限られた時間でヒーヒー言いながら編集をした本のほうが売れたりします^^(たくさん作りすぎて、仕事が流れ作業のようになっている場合は別です)
仕事は、「どれだけ時間をかけたか」よりも「どれだけ集中できたか」。
改めて実感しました。それに気づかせてくれた受講生の皆さん、本当にありがとうございました!
「いつか出版したい人」が身につけるべき○○の習慣
我が家には、セラとココという2匹のトイプードルがいます。
セラは、料理を始めると、すぐに足元にやってきて食材が落ちてこないかずっと待ち受けています。一方、ココは、その様子を遠巻きに見ていて食材が落ちたのを確認してから駆け付けます。
そうなると、仮に食物が落ちても、十中八九セラの口に収まります。結果、ココは食べられないどころか、食べ物が落ちたことさえ気づかないことに……。
この様子を見ていて、ふと(自分もココと同じかも……)と思いました。何かを始めようとする時、何となく遠巻きで見ていて、うまくいきそうなら乗っかる。そんな気持ちがないだろうか……と。
そして、「チャンスの女神には前髪しかない」ということわざを思い出しました。
フリー編集者という立場上、「本を出したいんです」という相談を数多く受けます。その時、「原稿はありますか」とか「ブログなど継続的に書いているものはありますか」と聞くのですが、「原稿はありません。これから書きます」「ブログはやってません」と返ってくる人が少なくありません。
もちろん原稿がなくても、ブログをやっていなくても本が出ることはあります。でも、やっぱり原稿があったり、ブログをやっている人のほうが女神の前髪をつかみやすいのは事実だと思うんです。
なぜなら、原稿やブログなどコンテンツがあれば、編集者は判断しやすいから。
だから、いつか出版をと思っている人は、ぜひ「書く習慣」を身につけてください。
1日1記事でもいい、短くてもいい、毎日書く。
私も毎日1記事はアップする、ということを自分に課しています。なので、これが簡単そうでいかに大変か、身に染みてわかります。
ただ、この習慣が、あなたの出版を現実にします。ぜひ一緒にがんばりましょう^^
皆さん、今日も1日お疲れ様でした&ありがとうございました。
OCHI企画、1年目黒字でした。皆さんありがとうございます!
OCHI企画を昨年7月に法人化して1年たち、この度決算が見事黒字となりました(パチパチパチ)。
個人事業主時代2年の収支も黒字でしたので、通算3年を黒字で終えることができました。
PHP研究所勤務時代、松下幸之助さんの言葉「赤字は罪悪や」という言葉を耳にタコができるくらい聞かされて育ちましたので(笑)、独立してもその教えを守ることができてうれしい限りです。
とはいえ、これもひとえに皆様のお引き立てあってのことです。心より深く感謝申し上げます。ありがとうございます!
これからも、世の中に良い影響を与える人
(=グッドインフルエンサー)の育成と輩出、そして良質な出版物の企画・編集に力を注いでまいります。
引き続きお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。
感謝です^^
「我」の塊だった青年社長が、話し方を変えて成功した話
いつもありがとうございます! 越智秀樹です。
いきなりですが、
あなたは、なかなか言いたいことを言えないタイプでしょうか?
それとも自分の言いたいことしか言いたくないタイプでしょうか?
ミリオンセラー作家の永松茂久さんは、26歳で事業を始めたばかりの頃、「言いたいことしか言わないタイプ」だったことで大失敗した経験があるそうです。
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26歳の時に3坪の行商から始めた小さなたこ焼き屋は、創業当初の苦難を乗り越え、起業から2年経った頃には、より規模の大きな飲食店へと事業を拡大していました。
しかし、現実には20名のスタッフを抱え悪戦苦闘の日々。
「いかに利益を出すか?」だけを考え、報連相や言葉遣いの徹底など、表面的なことばかり追いかけていました。
その結果、スタッフたちとはうまくコミュニケーションが取れず、チームはどんどん衰退していくばかり。
今思えば、私の話し方が原因だったことは間違いないでしょう。
なぜなら、
「なぜ俺の話を理解してくれないんだ?」
と、心の中でいつも周りを責めていたからです。
いつも自分の話が中心で、誰かが話している時は、「いつ終わるかな」と自分の出番で話ことばかりを考えている。
口論大歓迎。相手を論破してなんぼのスタイル重視。
議論で負けそうになっても、自分の意見を力づくで押し通す。
いわば典型的な「我」の塊。そんな自分でした。
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話し方にさえ「我」が出ていた永松さんが、どんな風に話し方を変えて成功したのか?
すばる舎さんの新刊『人は話し方が9割』(9月1日発売)で、その秘密が明らかになります。
振り返ってみれば、私自身、苦手な人や嫌いな人にわざわざ自分から話しかけて撃沈していることが実に多かった(苦笑)。
また、世の中には嫌われたくない一心で誰かれなく話しかけては凹み、コミュニケーションがイヤになっている人がたくさんいます。
そんな心優しい「いい人」が本書を読んで、少しでも話し方を改善し、よりよい人生を歩んでほしい。
「苦手な人や嫌いな人にわざわざ自分から話しかけにいく必要はない」「話している相手を決して否定しない、そしてあなた自身も否定させない」という永松さんの温かくも強いメッセージが多くの人の心に届き、気持ちをラクにすることを願ってやみません。
永松さん、砥川さん、すばる舎の上江洲さん、原口さん、今回は編集を担当させていただいてまことにありがとうございました。
ミリオンセラー作家が手帳を持たなかった理由
いつもありがとうございます! 越智秀樹です。
私はつい最近まで、スケジュール帳に
空白があることが怖くて怖くて仕方がありませんでした。
ですから、少しでもスケジュール帳に余白があると、
すぐそれを埋めようと動いている自分がいました。
その結果、ウマの合わない人とお仕事をしたり、
気乗りしない飲み会に出席することが増え、
自分で自分を擦り減らしていました。
しかし今回、永松茂久・著『人生に迷う君に送る24の手紙』を編集したことをきっかけに、
その怖さを乗り越える勇気をもらいました。
本文の一部を紹介しますね。
————————————————–
何を隠そう、最近まで私は手帳を持ったことがなかった。
それでも頭の中で数ヶ月先までのスケジュールを全部覚えていた。
(中略)
と、ここまで格好のいいことを言ってみたけど、実は私は頭の中で把握できるくらいしか
予定を入れないのだ。
あまりにも予定を詰めすぎると、自分にとって「本当に大切なこと」が目の前にやってきた時に、そこをスルーしなければならなく恐れがあるからだ。
「この予定は本当に入れなければいけないの?」
「その予定を考えただけでワクワクするか?」
そして、本当に自分がワクワクすることだけに時間を使うようにする。
たとえ付き合う人が減ってしまったとしても、予定にゆとりを持って、できる限り好きな人と過ごせる時間を優先するほうが、私は幸せだと思う。
そして、不思議なもので、「本来の自分」を生きていたら、ベストなタイミングでベストな人と出会えるようになる。
~スケジュールが埋まっていないと不安な君へ~「予定を捨てる」 より
—————————————————-
永松さん、今回、永松さんの本を編集させていただくことができ、本当にうれしかったです。ありがとうございます。
最初は、自分の息子や娘、あるいは若かりし頃の自分に対してのメッセージ集のつもりで編集していました。
ところが次第に、今の私に言ってくれているような気になってきまして、大いに勇気づけられ、また迷いが吹っ切れました。
この本を待っている人は、まだまだたくさんいます。
このブログを通じて、一人でも多くの方に知ってもらえればと思って書きました。
そして、本書を買ってくれたみなさんが、永松さんの愛と魂のメッセージを感じて、
少しでも前に進む勇気を持ってくだされば、こんなにうれしいことはありません。
永松さん、素晴らしい本の編集をさせていただいて、まことにありがとうございました!
編集した本が11刷累計12万部超え! 感謝です^ ^
先日、PHPとPHPエディターズグループから増刷の連絡がありました!

あまりに嬉しすぎて近くの公園で嫁さんと撮影会を催したのが上の写真です^^

PHPエディターズ・グループ時代に編集した『絶対、よくなる!』がなんと18,000部!これでなんと11刷目で121,600部です!!!
また、フリーになってすぐに編集した『図解 斎藤一人 天が味方する「引き寄せの法則」』がなんと増刷が10,000部!

こちらは2刷ながら累計32,500部!!!
本がなかなか売れないと言われている昨今大切になってくるのが、著者さんがしっかりと自分のコミュニティを持ち、応援してくれる素敵な仲間に囲まれること。
しっかりと本が売れ続ける人と、本を出したけど全く売れない人。
残酷ですがこの2極化構造はこれからどんどん広がって行くように感じます。
そんな時、これから本を出したい人はどうすればいいのか?
ベストセラー作家になれる人、なれない人は何が違うのか?
最近問い合わせが多いのでその方法をまとめました。
[ベストセラー編集長が教える!ベストセラー作家になれる人、なれない人]
良かったらご覧ください^ ^
これからどんどんブログを更新していこうと思います。
感謝です!
日本と米国でミリオンセラーを打ち立てた、ただひとりの編集長の話。
いつもありがとうございます。
越智です。
ここのところ、サンマーク出版前常務取締役で編集長のタカトモさんこと高橋朋宏さんと打ち合わせを重ねています。タカトモさんは、業界では知らぬ人がいないほどの超有名人。日本と米国でミリオンセラーを打ち立てた、ただひとりの編集者です。
あの金スマでも紹介され話題となった『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵さん・159万部)
の大ヒットを初め、140万部突破のミリオンセラー『病気にならない生き方』(新谷弘実)、『体温を上げると健康になる』(70万部)『なぜ、「これ」は健康にいいのか?』(52万部)など、ベストセラーを次々と生み出しています。
伝説の編集者・タカトモさんが「ブッククオリティ」という新会社を設立され、そこで行われる出版ゼミに私も外部スタッフながら、編集ディレクターとして参画することになりました。

※打ち合わせ後、元ダイヤモンド社の平城さん(右奥) 著者のコミュニティ作りのプロデュースをしている菊地さん(左前)と。
タカトモさんが新人著者さんの作品を世に送り出すときの手腕は、その実績ですでに証明されているわけですが、近藤麻理恵さん(コンマリさん)に会った瞬間に「この人はTVに出る」と思ったという話しは本当に驚きました。さらにタカトモさんは、コンマリさんの肩書であった「整理収納コンサルタント」を「片づけコンサルタント」に変更させ、イメージチェンジを図ってプロデュースされていったそうです。
「整理収納コンサルタント」と「片づけコンサルタント」。比較をしてみると「片づけコンサルタント」のほうが圧倒的にイメージが湧いてなじみやすく、主婦目線であることがわかりますね。書籍の編集は著者のイメージづくり、プロフィールづくりからすでにスタートしています。
出版に合わせてどんどん新しいイメージづくりをして、「売れ続けて幸せな著者」を目指す方と一緒に共有していきたいと改めて思った時間でございました。今回タカトモさんと一緒に開催する、ブックオリティ出版ゼミはこちらからご覧いただけます。
今後がますます楽しみです!タカトモさん、ありがとうございました!
感謝です!
ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。
ダメダメ営業マンだった私が、累計発行部数1000万部超のベストセラー編集長になった話【PHP研究所との出会い編】

※一周年を記念して富士山と一緒に
みなさま、こんにちは! 越智です!2018年10月1日をもちまして、OCHI企画は無事1周年を迎えることができました。PHP研究所を卒業し、即席作りのカヌーで大海に漕ぎ出した私を、多くの方に導いていただきました。改めて心より御礼申し上げます。ありがとうございます!
さて、1周年を機に今までの人生を振り返ってみました。何回かに分けて配信していきますので、よかったらご覧ください(^ ^)
第1回は、PHP研究所との出会いについてです。
私は1970年、愛媛県今治市にて4人兄妹の長男として生まれました。母子家庭状態でしたので、経済的にはかなり厳しい状況にありました。引っ越しを繰り返し、高校3年時には、5人で2Kのアパートに暮らしていました。あまりに家が狭いため小さなテレビは小さな押入れの中にあり、両親が別居してからは、お腹いっぱい食べた記憶はほぼありません。育ち盛りにも関わらずいつもお腹を空かしていました。(それが原因かどうかわかりませんが、貧血検査にはよく引っかかりましたね。笑)
自分に続く兄妹たちのことを考えると、「大学はお金のかからない国公立しかない」と地元の愛媛大学を目指します。しかし、センター試験に失敗。隣県の大分大学に進学することになりました。
折角入ったにもかかわらず、大学へはほとんど行った記憶はありません。自分ではどうしようもない経済的困窮の中で暮らしていた高校までと比べ、アルバイトをすれば、働いたなりのお金が入る。お金に困った月があったとしても、自分一人だけならなんとかしのげる。自分の生活スタイルを、自分の意思で選べることに気づいた私は、学校に行くよりもアルバイトや、大好きだったゲームにのめり込むことで自由を知るようになっていきました。
そして、それは将来の選択にも影響を及ぼします。あまりにゲームにのめり込んだため、「一生ゲームに関わって過ごせるなら本望だ!」と思うようになったのです。そこに歴史好きなことも加わって、就活では歴史ゲームを手掛けている光栄(現・コーエー)を第一志望に定めました。時は1991年。バブル真っ盛りで、内定が出ていない友達なんていません。受験すれば受かるだろうくらいの甘い気持ちで試験に臨みました。
しかし、安直な考えは即結果にあらわれました。光栄の入社試験はペーパーテストであっさり落選….周囲の友人がいくつも内定を持っている一方で、私だけ内定ゼロという危機的状況に陥りました。「どうしよう……今からどこかの会社の内定をもらうなんて無理だ….」と目の前が真っ暗になったことを今でも覚えています。
そんな時、ふと私の目に留まったのが部屋にあるPHP文庫でした。(PHP…..? 福岡でも就活セミナーをやると聞いたな……ここにかけるしかない!!!)急ぎPHPに電話して福岡のセミナーを申し込んだ私は、決死の覚悟でディスカッション試験に挑み、なんとかパスすることに成功しました。そしていよいよPHP京都本部での最終面接に向かうことになります。
大分から関西に向かうフェリーの中で私は、(どうすればPHPから自分を欲しいと思ってもらえるか?)を必死で考え抜きました。そこで思い至ったのが、面接官が聞きたいのは究極2つのことではないかという仮説です。
その2つとは……「なぜうちを志望したのか」「入社したあと、あなたは何がやれるのか(やりたいのか)?」。
そこで面接試験では、「PHP文庫の歴史ものが大好きだ」ということ、「PHPに入って歴史ものをつくりたい」の2点に絞って、伝えることに集中しました。(他のことは全く覚えていません)
数日後、PHPから合格の電話を受け取った私は、「本当によかった……」と胸をなでおろしました。自分の就職が遅れることは、後に続く兄妹たちに影響が出るということです。その心配から解放された時の安堵感と嬉しさは一生忘れることができません。
しかし、その安堵もつかの間、本当の試練はここから始まりました。
10月に行われた内定者の集まりでのことです。数十人いる同期を見渡してみると、地方大学出身者はほぼ私だけ。多くは東大、早稲田、慶応、中央、同志社、関西学院など有名国立私立大生です。「こんな優秀な人たちに交じって自分は本当にやっていけるんだろうか……」。喜びが不安に変わるのに、さほど時間はかかりませんでした。
そしてその不安は、入社後、見事的中することになります……
この続きはまた更新したら、お知らせしますね(^ ^)
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。心から感謝です!
ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。
ダメダメ営業マンだった私が、累計発行部数1000万部超のベストセラー編集長になった話【ダメダメ営業マン編】
いつもありがとうございます。
越智です。本日は前回(PHP研究所に入社するまで)の続きになります。
[転職も考えたダメダメ営業マン時代]

入社後、私は京都本部の法人営業に配属されました。どんな仕事だったかと申しますと、主に中小企業の社長さんを回って、PHPの機関紙である月刊誌「PHP」を、一括で買ってもらうというお仕事です。(ちなみにPHP研究所では「営業」と言わず「普及」と呼びます)
ところが、これがなかなかうまくいきません。まずアポイントメントがとれないのです。「私、PHP研究所の越智と申しますが○×社長いらっしゃいますか?」「なに? GHQ? GHQとかもうないやろ!!!」ガシャン(電話の切る音)
「いつもお世話になっておりますPHP研究所の越智と申します」
「はあ? うちがいつおたくをお世話した?」(ガシャン)
今から考えれば、当たり前の話です。4月といえばどこの企業も新入社員が配属されて一斉にテレホンアポイントを始める時期です。そこにいかにも新入社員、というかけ方で電話していくわけですから、相手も承知しています。そうそうアポイントが取れるわけがありません。
ところが、甘い気持ちを引きずったまま社会人になった世間知らずの私にとって、それはショックの連続でした。アポイントメントがとれないことや結果が出ないことを、人格否定されたと勘違いしてしまった私は、次第に仕事から逃げるようになっていきました。そんな状態では、結果はどんどん遠ざかっていきます。結果が出ないことを不況のせいにして逃げ、逃げを注意する上司に食ってかかり、自暴自棄になって結果が伴わないからまた逃げる……まさに成績降下のスパイラルに陥っていました。
そんな状態は、最初の京都本部時代1年半と、1年在籍した名古屋時代を含めて2年半ほど続きました。目標達成までのアプローチを確認してきた上司に対しては、「機嫌で物を言わないでください!!!」と逆ギレ、電話の切り方を注意してきた上司には、「なんで僕だけ注意されるんですか!!!」と食ってかかり机を蹴って事務所を飛び出す始末。まさに穴があったら入りたい赤っ恥エピソードばかりです。そんなめんどくさい部下の典型だった私ですが、95年には結婚して子供が生まれました。なんと人の親になったのです。にも関わらず、自分の中では相変わらず仕事に向き合う気持ちは生まれてきません。周囲との人間関係と仕事の成果は、京都転勤を機に改善したものの、会社の目標は遠く達成したことは、ほぼなかったように記憶しています。
仕事に真剣に向き合うことのないまま迎えた1997年、東京転勤になった私は、人生を一変させる上司に出会います。徹底して結果にコミットすることを求める上司の登場です。時間厳守、仕事のマルチタスク化、結果に対して妥協を許さない姿勢……5年もダメダメサラリーマン時代が続き、負けグセのついていた私にとっては、衝撃的な毎日でした。「この人についていくのは無理だ……」心底そう思いました。
追い込まれた私は、会社に内緒で転職活動をするようになります。年は28歳、ちょうど二人目の娘が誕生したばかりの頃でした。
しかし、そんな逃げの姿勢で転職活動している人間を、面接官が見抜けないわけがありません。何社か受けるものの、まったく受からないのです。
ことごとく不採用になり、転職活動を断念した私は、ようやくここで目の前の仕事に向き会う覚悟を固めます。「いつまで逃げていても仕方がない。やり切るだけやり切って、ダメならまた考えよう」。とはいえ、何から手をつけていいのかわかりません。恐る恐る上司が若い頃、どんな仕事の仕方をしていたのかを聞いてみることにしました。すると、こんな答えが返ってきました。「俺が20代の頃は、部署の誰より早く来て、一番遅く帰っていたよ」。(そうか……まずそれから実践してみよう)そう心に決め、翌日から課で一番早く来て、最後に帰るようにしてみました。
すると面白いもので、そこから徐々に結果が出始めたのです。遠く及ばなかった目標も、クリアできる月が出てきました。「なんとかなるかも」。2-3年後には、1社で数千万級の受注を頂けるケースも出てきました(今でも当時の伝票のコピーを、お守り代わりに財布に入れています・笑)。「やればできるじゃん、俺!」。結果が出ると評価されます。評価されるとやる気が出ます。やる気があるとみんなが助けてくれます。みんなが助けてくれると、また結果に結びつます。好循環スパイラルです。
今にして思えば、一番早く来て最後に帰るという「形」が「覚悟」に変わったことでマインドに変化が起こり、結果に結びついたのだと思います。以来、追い込まれて「覚悟」を決める、追い込まれて「覚悟」を決める、が私の人生のパターンとなります。
しかし、こうやって振り返ってみて今、わかることがあります。私に関わってきた上司すべてが、私の恩人であるということです。生意気なわりにメンタルが弱くすぐヘタれる私は、いわゆる「軟弱者!」でした。やる気はない、成果は出ない、注意すれば反抗する……そんな私を上司の方たちは、見捨てることなくとても根気強く指導してくれたなと、今さらながら感謝の念が湧いてきます。改めて御礼申し上げます。本当に「ありがとうございます!」
そんなダメダメ営業マンだった私が「編集者」に転身する話は、次回!
ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。
ダメダメ営業マンだった私が、累計発行部数1000万部超のベストセラー編集長になった話【文庫出版部時代編】

※2005年の写真。ヒットがなく(そうは見えないかもですが・笑)悶々としていた日々
いつもありがとうございます。
越智です。第1回(PHPとの出会い編)、第2回(法人営業時代編)の続きで、今回は営業から出版部に異動した頃の話を書きます。
【打算的だった自分を告白します】
少しづつ仕事のコツを掴み、「営業でなんとか身を立てていける!」そう思い始めた矢先のこと。
入社時に希望していた出版部への異動話が持ち上がりました。
2002年3月のことです。
当時の法人営業部門の責任者であった常務取締役から「出版部に行ってみる気はないか」と打診されました。
ところが、その異動話が持ち込まれた際、私は喜びよりも戸惑いの方が大きかった……。
なぜなら、営業活動がようやく波に乗り始めた時期だった上に、年齢も30歳を超えていたからです。
つまり、新しいキャリアを積むには遅く、今からでは同期に出世で後れを取るのではないかとの打算が働いたのです。
「異動してみたいけど、1からキャリアを積み上げて実績がでるかどうか……」
あるいは、
「もしかして今の部署で、ボクは不要な人間と思われたんだろうか……」
そんな思いが首をもたげました。
悩みに悩んだ私は、今の複雑な心境を妻に吐露しました。すると、次のような言葉が返ってきたのです。
「もともと編集者になりたくてPHPに入ったんでしょう? なら、やってみればいいじゃない。やってダメだったらまた考えればいいのよ」
(そうか。そういう考え方もあるな……)
妻の言葉に背中を押された私は、出版部への異動を決めました。
異動先は、学生時代の私をPHPに導いてくれた『三国志の人物学』『愛されなかったときどう生きるか』の担当部署である文庫出版部でした。
不思議な縁を感じました。
入社してちょうど10年が経とうとしていました。
[30歳を超えて、編集の世界へ…]
文庫出版部では、営業部とはまったく違う世界が待っていました。
ひと言でいえば、編集は自分で考え、自分で決めることを強く求められる仕事だということです。
もちろん営業の仕事が、自分で考え、自分で決める仕事ではない、という意味ではありません。
最終的に決定権があり責任を持つのはどこか、という話です。
営業は「最終的に買う、買わないはお客様が決める」のに対し、編集の仕事は「企画も著者もタイトルも自分で(自社で)決める」のです。
ここに決定的な違いがあります。
しかし、長年の営業活動で、お客様の意に沿うことを最優先に考えてきた私にとって、「最終決断を自分(自社)で行う」ということに大変な違和感がありました。
そんなとき、ある事件が起きます。
ある企画について、社内で考えたタイトルを著者さんに提案したところ、著者さんがどうしても首を縦に振ってくれないのです。
著者さんからNOが出るたびに上司と相談して新たな案を持っていくのですが、まったく方向性の違ったタイトルを提案され一向に折り合いがつきません。
それまでの私の発想だと、最終的に著者さんの意向を汲んでなんとか丸く収める場面でした。
しかし、上司はまったく違う姿勢で臨んできたのです。
タイトルを決めあぐねている私をみて、こう言いました。
「越智君は、どっちの味方なのか」
(ええ? なんでそうなるの?)と思いました。
そうこうしているいるうちに、著者さんからこう言われました。
「越智さんは、どの案がいいと思っているの!(怒)」
私の内心はこうでした。
(相手は著者さんなのだから敵も味方もないし、タイトルは新米の僕の意見なんて通らないんだから…)
しかし、今はわかります。
編集者として、タイトルという最重要事項について、著者さんの意見を聞くのは大切なことです。
しかし、本が売れる売れないを最終的に判断し、投資そのものを行なうのは出版社です。
投資である以上成功すれば儲けが出ますが、同時にリスクも負います。
ということは、本の売れ行きに大きく関わってくるタイトルを、全面的に著者さんに委ねるのではなく、まず担当編集である自分が腹オチするまで考え抜くこと。
そして、それを著者さんと会社に説明をし、私が能動的に進めること。そこがわかっていませんでした。
異動してしばらくは、著者さんやデザイナーさんと会社の意見が対立したとき
「自分がどうしたいか」より「どうすれば丸く収まるか」ばかりを考えていました。
自分の意見や考えをもたず、事態を収拾させることに終始していたのです。
著者さんの考えを汲まなきゃという思いと、売れる本を作らないといけないという現実。
このギャップを編集者が埋めるのだ、ということを腹オチするまでかなりの時間を要しました。
そんな姿勢ですから、良い企画もまったく出てきません。予定調和である私の企画は、なかなか通りませんでした。
通常、企画会議に提出して約1ヶ月で最終決裁が下りるところ、初めての書き下ろし企画を通すのに、半年以上かかりました。
また、企画が通るようになってからも、作った本はさっぱり売れませんでした。
そんな時期が約3年続きました。
あまりに売れない時期が続きましたので、あるとき(僕は編集の仕事が向いていないのかもしれない。営業に帰ろう……営業に帰りたい……)そう思い始めました。
いつもの悪い癖が出たのです。
マイナスの思考は、マイナスのことを引き寄せます。
ある著者さんとの打ち合わせをしたときのことでした。同席していた直属の上司から言われたひと言に我慢できなくなった私は、
局長に営業部門に帰ることを申し出て了承されたのです。

[初めてのヒットが大ヒットに!]
しかし、人生面白いものです。
「営業に帰る前に、自分の作りたい企画で、自分の好きな絵師さんにカバーイラストを頼んで、見出しも自分なりに考えたものをつけてみよう」
そう覚悟して作った文庫が大ヒットになったのです。『「世界の神々」がよくわかる本』という文庫でした。
ゲーム好きが高じて出来たこの本は、カバーや中のイラストの良さも相まって発売後すぐに増刷を重ねました。
(2005年発売の同書は、累計で35万部を超え、13年経った今も販売されております)
また、私の短気がもとで決まっていた営業部門に戻る話も、同書が出る直前に大人の事情があってリセットされていました。
『「世界の神々」がよくわかる本』の売れ行きに自信を得た私は、続編を出すかたわら、ビジネス中心の企画から雑学・エンタメものに徐々にシフトチェンジしていきました。
それまでPHPが手をつけていなかった、ガンダム、ウルトラマン、北斗の拳、ディズニーなど、エンタメコンテンツとタイアップした企画をどんどん出していったのです。
これが結果として、新たな販売ルートとして注目されていたコンビニ向け商品の拡充にもつながり、私はコンビニ向け商品をつくる部署の責任者となりました。
しかし、このコンビニ向け部署でも、大きな試練が待ち受けていました。
この続きはまた更新したら、お知らせしますね(^ ^)
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。心から感謝です!
ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。
日本と米国でミリオンセラーを打ち立てた、たったひとりの編集長の出版ゼミレポート
去る11月9日(土)、11月10日(日)に「世界を変える著者になる ブックオリティ出版ゼミ」の11月講義が行われました。
メイン講師は、日本と米国でミリオンセラーを打ち立てた、たったひとりの編集長であり、サンマーク出版・元常務取締役の高橋朋宏さん(タカトモさん)です。
今回、私は「編集ディレクター」という立場で関わっております。

さて、1日目である11月9日は、「著者になりたるための心構え」「企画の立て方・考え方」「タイトル・見出しの考え方」など、タカトモ塾長の講義がワークとともに行なわれました。
私はこれまで、編集者として著者と接してきたわけですが、講義を見て「著者から見ると出版ってこういう風に見えるんだ」ということが実感としてわかりました。
たとえば、「企画とは何か」「タイトルの役割は」「見出しの意味」といったこと。
編集者が何気なくやっていることを、きちんと言葉にして著者に伝える。
その難しさを知りました。

2日目となった11月10日は、ゼミ生全員(36名)による企画のプレゼンテーションです。
ゼミ生一人一人が全員の前で2分程度のプレゼンを行ない、編集者3人が3分程度のコメントを返す。

ゼミ生はもちろん大変なのですが、私たち編集者も1人1分程度でコメントを返す必要があります。
これがまた結構難易度が高い。
話を短くまとめるのは当然で、しかも的外れなコメントをするわけにはいかない。。。
結構なプレッシャーでした(汗)。
さて、この記事でお伝えしたいのは、今回私はメンターという立場ではありますが、私自身が一番勉強になったということです。
●編集者が何気なくやっていることを著者に言葉にしてきちんと伝えること
●ゼミ生の企画プレゼンテーションを聞き、新しい考え方や発想を学んだこと
●短く、太いコメントを出す努力をすること
本当にこのゼミに関われたことを嬉しく思っています。(まだ半年ありますが….笑)
ゼミ生のみなさん、そしてスタッフのみなさん、2日間本当にお疲れ様でした。
そして、これからもみなさんを全力でサポートさせていただきます!
それと同時に、次回12月も一番勉強するのは「俺」!!笑
第2期の募集は来年2月以降を予定してますが、先行案内が欲しい方はこちらからご登録くださいね。
「世界を変える著者になる ブックオリティ出版ゼミ第2期募集&オンラインサロン先行案内受付希望フォーム]
https://pro.form-mailer.jp/fms/52a2ef04154844
また、こちらは私がお伝えしている出版に関するコンテンツです。
「ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。」
鼻にチューブをつっこんでみましたw
「越智さん、これはね、世界に10台しかない機械のうちの1台なんですよ」
視力回復の第一人者である中川和宏先生の解説を聞きながら、私は鼻にチューブをつっこみました。

※左が、世界に10台しかないといわれるレプトンガス吸入器

※視力回復セラピストの中川和宏先生
越智です。
先日は、2月刊のPHP文庫の取材のかたわら、時代の最先端をいく技術「水素ガス吸入(レプトンガス吸入)」を体験させていただきました。

※左がライターの大政さん。右がPHP文庫の伊藤副編集長(この写真の掲載は、ご本人の許可を得ておりますw)
この聞きなれない「レプトンガス吸入」という言葉ですが、実はすごい威力を秘めているらしい。
レプトンガス吸入+レプトンウォーターでなんと! 若返りが図れるというのです。
中川先生自ら、半年間体験してその効果を実感されて、機械の導入を決めたそうですから折り紙つきです。

※吸入の前にレプトンウォーターを飲んで効果を高める
さて、レプトンガス吸入をするとなぜ若返るのか?
ここからは理屈なので、興味のない方は読み飛ばしてください。
人間の身体を形作っている細胞。この細胞の中にはミトコンドリアがあります。ミトコンドリアたちは、細胞の中で車のエンジンのような役目をしているのですが、老化を進行させる活性酸素によって、その活動は次第に鈍っていく、これが老化現象です。
しかし、このエンジンを活性化させることによって細胞は若返る。つまり水素をチャージして活性酸素とくっつけ、水として排出することで、細胞が若返りイキイキしてくるのだそうです。
元気で健康に一生を過ごすことは、人間にとって永遠のテーマです。
今なら、MYチューブを500円で購入すれば、無料で体験ができますので、興味のある方はコチラまでぜひ足を運んでみてください。
※一年定額制のお得なコースもあるそうです。
最後に、私がお伝えしている出版に関するコンテンツのお知らせです。
「ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちら」
ご縁の不思議
いつもありがとうございます。
越智秀樹です。
新緑の中での散歩に幸せを感じる毎日です。
先日、「縁結び文章術」としてご活躍中の松谷美里さんの出版相談をさせていただきました。
松谷さんは、北海度から沖縄まで全国各地にクライアントを持つブログの添削講師さん。
初対面の印象は、とにかく”小顔の可愛い方”でした。
それもそのはず、松谷さんはエステサロンも経営されていたからなんですね。
さすがです^^
さてさて、今回松谷さんからご相談のあった企画案は文章術。
しかし、文章術といっても、ただの文章術ではないのです。
「たった3行で相手の心をつかめる」というのです。今回は2時間でその秘密にグッと迫りました。
松谷さんのノウハウはシンプルだけど、とても効果のあるものばかり。
面白すぎて、どんどん引き込まれてしまいます(^^)
とはいっても、ここではその全貌をご紹介できないので
興味のある方は、松谷さんのブログを覗いてみてくださいね。
https://ameblo.jp/hokari417
松谷さんから「 ブログはお会いした方への最大のギフト!」と教えていただいて、私も久々にブログを更新してみました^^
今までのブログと少し違っているでしょうか。
松谷さんは、4月の末に出版のご相談をいただいたステキな方からのご紹介で来られました。 今回のご縁を頂いてその方にも心からの感謝でいっぱいです。
ステキな方はステキな方とつながっています。
「どんな仕事をするかより誰と仕事をするのか」
松谷さんとお話をしながら、改めてそう思いました。
おしゃべりが楽しくて、あっという間の2時間。
貴重な学びと気づきをもたらしてくださった松谷さんに心から感謝です。おかげさまでブログの更新もできました!
新緑の季節はキラキラしていていい時期ですね。
皆さんも、この季節を楽しんでください。
ありがとうございました。
45歳でがんを宣告され、人生が激変した女性のお話
いつもありがとうございます。越智秀樹です。
今日は投資関連の企画について、出版相談にみえられた和栗美奈子さん(仮名)についてのお話です。
美奈子さんは45歳の時にお医者さんから 「間違いなく、乳がんです」 と宣告を受けました。その瞬間、
「自分の人生、終わったな」
と、美奈子さんは目の前が真っ暗になったそうです。
しかし、お医者さんの「(ガンは)取ればいいんです」という言葉に気持ちを奮い立たせ、抗がん剤治療に踏み切りました。ただ治療するにあたり、これまたお医者さんから
「抗がん剤治療は免疫が落ちたり吐き気がしたりと、体がつらくなります。通常の仕事はできなくなるかもしれません」
との説明も受けました。
そこで美奈子さんは、
「働かなくてもお金が入ってくる仕組みを早急に作らなければいけない」
と考え、関連書籍を大量に購入し片っ端から読み漁りました。
また、投資会社が主宰するセミナーにも頻繁に顔を出し、本で学んだこと、セミナーで学んだことを、取りまとめてグラフ化することで独自の投資ノウハウを構築したのです。
治療の甲斐あって、がんを克服した美奈子さんは、その投資ノウハウをもとになんと、3年の間に5億円もの資産を作り上げました。
そんな美奈子さんですから、ご自分の手法に並々ならぬ自信をお持ちです。
打ち合わせではそれが、自然と私にも伝わってきました。
静かで穏やかな口調ながらも力強い言葉の数々に、時に驚き、時に感心しながらめくるめく投資の世界を教えていただきました。
最初は、本の企画を考えていたはずの私も思わず
「私にもできますか?」
と聞くほどのシンプルだけどわかりやすいノウハウでした。
そこで「ぜひ書籍しましょう」と申し上げてお別れしました。
美奈子さん、今日はお会いできて幸せでした。本当にありがとうございます!
美奈子さんの投資ノウハウ・マインドを待っていらっしゃる方は、たくさんいらっしゃると思います。
そして、書籍づくりを通して、それを一人でも多くの方にお伝えできたらうれしいです。
素晴らしい時間をありがとうございます。
またお会いできますこと、楽しみにしております。
感謝です!











