ダメダメ営業マンだった私が、累計発行部数1000万部超のベストセラー編集長になった話【ダメダメ営業マン編】

いつもありがとうございます。

越智です。本日は前回(PHP研究所に入社するまで)の続きになります。

 

[転職も考えたダメダメ営業マン時代]

入社後、私は京都本部の法人営業に配属されました。どんな仕事だったかと申しますと、主に中小企業の社長さんを回って、PHPの機関紙である月刊誌「PHP」を、一括で買ってもらうというお仕事です。(ちなみにPHP研究所では「営業」と言わず「普及」と呼びます)

ところが、これがなかなかうまくいきません。まずアポイントメントがとれないのです。「私、PHP研究所の越智と申しますが○×社長いらっしゃいますか?」「なに? GHQ? GHQとかもうないやろ!!!」ガシャン(電話の切る音)

 

「いつもお世話になっておりますPHP研究所の越智と申します」

 

「はあ? うちがいつおたくをお世話した?」(ガシャン)

 

今から考えれば、当たり前の話です。4月といえばどこの企業も新入社員が配属されて一斉にテレホンアポイントを始める時期です。そこにいかにも新入社員、というかけ方で電話していくわけですから、相手も承知しています。そうそうアポイントが取れるわけがありません。

 

ところが、甘い気持ちを引きずったまま社会人になった世間知らずの私にとって、それはショックの連続でした。アポイントメントがとれないことや結果が出ないことを、人格否定されたと勘違いしてしまった私は、次第に仕事から逃げるようになっていきました。そんな状態では、結果はどんどん遠ざかっていきます。結果が出ないことを不況のせいにして逃げ、逃げを注意する上司に食ってかかり、自暴自棄になって結果が伴わないからまた逃げる……まさに成績降下のスパイラルに陥っていました。

 

そんな状態は、最初の京都本部時代1年半と、1年在籍した名古屋時代を含めて2年半ほど続きました。目標達成までのアプローチを確認してきた上司に対しては、「機嫌で物を言わないでください!!!」と逆ギレ、電話の切り方を注意してきた上司には、「なんで僕だけ注意されるんですか!!!」と食ってかかり机を蹴って事務所を飛び出す始末。まさに穴があったら入りたい赤っ恥エピソードばかりです。そんなめんどくさい部下の典型だった私ですが、95年には結婚して子供が生まれました。なんと人の親になったのです。にも関わらず、自分の中では相変わらず仕事に向き合う気持ちは生まれてきません。周囲との人間関係と仕事の成果は、京都転勤を機に改善したものの、会社の目標は遠く達成したことは、ほぼなかったように記憶しています。

 

仕事に真剣に向き合うことのないまま迎えた1997年、東京転勤になった私は、人生を一変させる上司に出会います。徹底して結果にコミットすることを求める上司の登場です。時間厳守、仕事のマルチタスク化、結果に対して妥協を許さない姿勢……5年もダメダメサラリーマン時代が続き、負けグセのついていた私にとっては、衝撃的な毎日でした。「この人についていくのは無理だ……」心底そう思いました。

 

追い込まれた私は、会社に内緒で転職活動をするようになります。年は28歳、ちょうど二人目の娘が誕生したばかりの頃でした。

 

しかし、そんな逃げの姿勢で転職活動している人間を、面接官が見抜けないわけがありません。何社か受けるものの、まったく受からないのです。

 

ことごとく不採用になり、転職活動を断念した私は、ようやくここで目の前の仕事に向き会う覚悟を固めます。「いつまで逃げていても仕方がない。やり切るだけやり切って、ダメならまた考えよう」。とはいえ、何から手をつけていいのかわかりません。恐る恐る上司が若い頃、どんな仕事の仕方をしていたのかを聞いてみることにしました。すると、こんな答えが返ってきました。「俺が20代の頃は、部署の誰より早く来て、一番遅く帰っていたよ」。(そうか……まずそれから実践してみよう)そう心に決め、翌日から課で一番早く来て、最後に帰るようにしてみました。

 

すると面白いもので、そこから徐々に結果が出始めたのです。遠く及ばなかった目標も、クリアできる月が出てきました。「なんとかなるかも」。2-3年後には、1社で数千万級の受注を頂けるケースも出てきました(今でも当時の伝票のコピーを、お守り代わりに財布に入れています・笑)。「やればできるじゃん、俺!」。結果が出ると評価されます。評価されるとやる気が出ます。やる気があるとみんなが助けてくれます。みんなが助けてくれると、また結果に結びつます。好循環スパイラルです。

 

 

今にして思えば、一番早く来て最後に帰るという「形」が「覚悟」に変わったことでマインドに変化が起こり、結果に結びついたのだと思います。以来、追い込まれて「覚悟」を決める、追い込まれて「覚悟」を決める、が私の人生のパターンとなります。

 

しかし、こうやって振り返ってみて今、わかることがあります。私に関わってきた上司すべてが、私の恩人であるということです。生意気なわりにメンタルが弱くすぐヘタれる私は、いわゆる「軟弱者!」でした。やる気はない、成果は出ない、注意すれば反抗する……そんな私を上司の方たちは、見捨てることなくとても根気強く指導してくれたなと、今さらながら感謝の念が湧いてきます。改めて御礼申し上げます。本当に「ありがとうございます!」

 

そんなダメダメ営業マンだった私が「編集者」に転身する話は、次回!

ベストセラー作家になれる人・なれない人の決定的な違いはこちらから。

 

 

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  6. 鼻にチューブをつっこんでみましたw

コメント

    • 渋谷裕子
    • 2018年 10月 24日

    越智さんの本来持っていらっしゃる本質を引き出してくれる様々な経験は、今の私にとても勇気と希望となりました。自ら覚悟を決め行動、実践することの大切さを感じました。越智さんの素晴らしさ、とても感動しました。
    ありがとうごさいます。

      • ochikikaku
      • 2018年 10月 24日

      渋谷さん、コメントありがとうございます! とても嬉しいです^^ 「失敗を怖がらない」という言葉はよく聞きます。ところが先日ある人が「失敗しよう(=失敗をしても何度でも立ち上がるから大丈夫)くらいの気概でやると意外とうまくいきますよ」とおっしゃいました。
      「そうか~そういう考え方もあるな」と思いました。
      「毎日チャレンジ!」 一緒に人生楽しみましょうね♪

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